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2022/05/30

翻訳がいけない理由。その2

前回は、神経ルートの視点から、学習効率としての翻訳がいけない理由を言いました。
(説明や指示のために日本語を使うことは、問題がない)

今回は、また別の視点からの話です。
各言語には、それぞれ独自の世界観が反映されています。
各言語独特の発音を独特の順番で並べ、独特の味付けで表現します。
それらの言語は、独特の発音・リズム・語順などで、独自の世界を形作っています。
それらは、美術や音楽との近似性が非常に近いです。

しかし多くの教材ではCDが付録でついていて、外語の文章が一つ流れると、日本語の翻訳が後に続きます。
これが、非常にダメなのです。

なぜかというと、あなたは日本語の世界観を外れて、各言語独特の発音やリズムや語順が作る異世界に、ドップリ漬からなければならないからです。
それなのに、いちいち日本語を入れていたら、世界観ぶち壊しです。

例えば、ピカソの絵を見た日本人画家が「これは、人の顔だな。人の顔を描いた絵なら、わが国にもある」のように対象を意味だけで捉えて同じものだと認識したら、もはや芸術としての価値はありません。
どう感じてどう描くかという、世界観の違いを認識していないからです。

あるいは音楽で言えば、ジャズの名曲を一曲流した後で演歌の名曲を一曲、みたいに編集したCD。
そんなCD、買いたいですか?
「世界観ぶち壊しだろ!」と気分が悪くなるのが正常な反応ですよね?
ジャズが悪いのでも、演歌が悪いのでもありません。
それらをごちゃまぜにすることこそが、ダメなのです。

これらと本質的に同じことをしているのが「日本語と外国語を翻訳でつなげる」という学習方法なのです。
外国語は日本語とは、融合しません。
外国語が融合するのは、あなたの心だけです。

翻訳がいけない理由。その2
翻訳がいけない理由。その2